【小話】エロ漫画を哲学する

今回はエロ漫画批評ではないことを冒頭に謝罪しておく。


【はじめに】

ロックという人物をご存知だろか?

ロックは観念連合という観念が数珠繋ぎで想起していくことを考えた人物である。


さてここで、「エロ」という観念について考えてみよう。

観念なので、人によって考え方は様々であろう。ある人はエロに対して否定的な考えを持っていて、またある人はエロに対して肯定的な考えを持っている。これが所謂観念である。その「エロ」という観念がどう連合していくか。これはエロ漫画にとって重要な要因の一部であると私は考える。エロの観念が繋がって文字、描写に加わるとエロ漫画に対する欲求は高まる。そのような人がエロ漫画を見るとそこら辺の在り来りな動画より、何十倍もの興奮の要素を含んでいることであろう。即ち、息子が脊髄反射で勃起するよりも何倍もの快感が与えられる。これはエロライフを満喫する上で非常に大事な事なのだ。


私は某所で催眠音声なるものの話を聞いた。これも観念連合の一種なのであろう。「エロ」という観念が「音声」という観念に繋がる。これは人類が人類たる所以なのであろう。発情期の動物は様々な行為をし、子孫を残そうとする。

人間はどうだろうか?発情期ではないのに、「音声」という観念を受けとった時、息子が反応するまでに様々な思考が脳内を駆け巡るであろう。非常に興味深く、また面白い話ではないだろうか。


「エロ」と一概に言っても人によっては受け取り方は様々である。私がエロ漫画を批評するのはエロに対して肯定的でも否定的でもない。人が人たる事の理由なのだ。猿はエロ漫画を見てオナニーはしないだろう。だが、人間はどうだろうが。貴方がエロ漫画を見て1回でもオナニーをした事があるならそれは立派な人間としての行為を果たしていることになる。あくまでも私がエロ漫画を批評するのは、この人たるべき行為に対してのツールだと思ってもらっていい。

「エロ漫画」というのは行為の一部なのだ。例えば、目玉焼きにソースをかけるか、醤油をかけるか、マヨネーズをかけるか、はたまた全部かけたり、組み合わせたりする人もいるだろう。「エロ」とはそのような個人の価値観でしかないものなのだろう。


【終わりに】

長くはなったが読んでいただいた方に感謝して次回からのエロ漫画批評に期待していただきたい。